ここ数年色んな場所をフラフラしながら、異国の宿のベッドの中で、カフェで、電車のなかで、市街の雑踏のなかで「最初の人間はどこから来たのだろうか?」と想いを馳せる。
アルゼンチンの詩人ボルヘス氏は「世界に先立つ一冊の本」を、フランスの人類学者レヴィ・ストロースは「全ての物語を生んだ一つの神話」を信じた。(あるいは見つけたのか...) 最初の人間は「ことばの国」からやってきたのではないのだろうか? (ダーウィンの進化論に反してオレは、人間は進化の過程でことばを獲得したのではなく、ある日突然あらわれたことばを持った猿が人間になったと想像する。首が中途半端に長いキリンが見つからないように、ことばをもたない人間も、ミッシングリンクも見つかりはしないのだ) そして今自分がやりたいことは、「人間に先立つことば」を探ってみることなのだと思う。 とはいってもまずオレは絵描きであって、去年は年の始めと終わりにそれぞれ東京・パリで展覧会を開き、そして色んなところで様々な「ことば」のうえを滑りながら(たまに潜りながら)、自分にとっての「ことば」とは絵であることを感じ始めた。 しかしその不可視のイメージを見つめるためには、可視の「言語」ということばも必要なのではないだろうか?という疑問から自分の考えてきたことをブログで「文章」という形でまとめることにした。 ★ その想いの基底は、世界の「かたち」の変化をめぐるところから始まっている。今日の移動手段(つまり飛行機のことだ)の発達と普及は世界のかたちを変えた。 色んなルーツを持つ人たちがめまぐるしく行ったり来たりしながら、そして時に対立しながら急速に「国境」という概念が衰退しつつある。 そしてその次に現れているボーダーが「圏・エリア」という概念で、それはつまり法律的・政治的なボーダーではなく文化的なボーダーなのだ。 自分は日本に生まれて日本語で思考している、そして日本の文化・伝統というものに愛着を持っているけれども、同時にボーダーを越えて行きたいという想いもあって、そうして今はその葛藤を文章にする必要があると思っている。 で、それにあたって自分で勝手に一つ縛りを設けることにした。 それは「日本」というトピックスを主に取り上げていくということ。理由としてはまず今までおろそかにしてきた日本の本を読むつもりだということと、日本という「ボーダーライン」をハッキリさせないと越えるも何もあったもんじゃないということの二つ。 日本のボーダーラインはつまり海のことだったんだけれども、今や世界地図はインターネット化しているので、(距離という概念が無くなりつつあるので)言語や歴史、つまり文化の面での「区分け」というものを明瞭にする必要があるだろう。 ★ そうやって自分のルーツの敷居に立ちながら、できるだけ遠くまで世界を見渡せるようにするのがオレの願いなんだけれども、最初はフラフラと爪先立ちしながらゆっくり続けていこうと思う。 そしてもちろん読んでくれた人の感想・批評をもらいたいと思っています。簡単にコメントができないような強度の文章を書くつもりなんだけどね! ヒラク #
by hirakoue
| 2006-03-24 04:15
| ★ はじめに
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